サムネイル

1. 『演技しなくてもいい』の本当の意味

よく言われる『TRPGに演技は不要』というフレーズ。
この言葉の本来の意味は、「演技ができないと参加できないのでは?」と不安になる初心者への配慮からきているのだと思います。

実際、TRPGはセリフを言わなくても遊べるゲームです。
キャラクターの行動を「こうします」と宣言するだけでも成立するし、無理にキャラになりきらなくても、シナリオは問題なく進んでいきます。
だからこそ「演技しなきゃいけないの?」と身構える人に対して、「いらないよ、大丈夫だよ」と声をかけるのはとても大切なこと。

ただし、ここで一つ注意しておきたい。
「演技はいらない」と言われて安心する人がいる一方で、別の方向から引っかかってしまう人もいるのだ。


2. 『演技』という言葉が指しているもの

そもそもTRPGで言う「演技」とは何か。

これらはすべて、いわゆる『演技』の一種だ。

もちろん、やらなくてもゲームとしては成立する。
でも、最近のシナリオや卓の雰囲気を見ていると、『感情のやりとり』が物語の中心になっていることが増えてきたと感じる。


3. 『セリフの演技』を求められるシーンが増えてきた

昨今の日本のTRPG、特に『クトゥルフ神話TRPG』では、シナリオ構造が大きく変化してきています。
かつてのCoCが「訳のわからない怪異からいかに逃げ延びるか」を描いていたのに対し、今では「怪異の真相に迫り、選択と覚悟で結末を迎える」ような構成が主流です。

それはつまり、ただ状況に流されるだけではなく、キャラクターの『意思』や『感情』が問われるようになったということ。

「君はそれでも進むのか?」
「その真実を知ってしまって、本当に戻れると思うか?」

こういった問いかけに対して、キャラの心を言葉にして返す。 それはやっぱり、『演技に近いこと』なんですよね。

だから、「TRPGに演技は必要ない」と言い切ってしまうと、この『感情を預けるシナリオ』の醍醐味を見逃してしまうかもしれません。


4. 『演技不要』が生む逆方向の誤解

「演技しなくていい」と言われたことで、ホッとする人もいれば、なぜか引っかかってしまう人もいます。
たとえば、「苦手だけど、ちょっと頑張ってやってみたい」と思っていた人が、「やらなくていいよ」という言葉を聞いて、その熱を失ってしまう。
そんな場面がいくつかありました。

このとき、「演技はいらない」という言葉は、安心ではなく『否定』に聞こえてしまうことがあるんです。

本当は「挑戦したい気持ち」を肯定してほしかったのに、まるで「そんな努力、無意味だよ」と言われたように感じてしまう。

これは伝え方の問題で、悪意があるわけじゃない。
でも、だからこそ大事なのはこう伝えてみてはどうでしょうぁ。

「TRPGは演技が苦手でも楽しめる。でも、やってみたい気持ちがあるなら是非やってみて」

『できるかどうか』ではなく、『やってみたいかどうか』。 TRPGの演技って、本来はそのくらい軽やかなものでいいはずです。


5. 演技ができると楽しい場面も増えた

『TRPGは演技力が必須ではない。ただし、最近のシナリオや遊び方では演技的な表現が楽しさを広げることも増えている』くらいのニュアンスがベストです。

「やらなくてもいいけど、やるともっと楽しめる場面が増えた」
このバランス感覚を持っておくことで、誤解や押し付けを減らせます。

そして何より大切なのは、卓を囲む前にそのスタンスを共有しておくことです。
演技に力を入れたい派と、演技はあくまで控えめにしたい派が、すり合わせをせずに同卓すると、「なんか冷たいな」「なんか芝居がかってて苦手だな」といったズレが、空気の温度差を生んでしまうこともあります。

これは誰かが間違っているという話ではありません。 ただ、事前に「どのくらい演技をするつもりなのか」を確認するだけで、事故はぐっと減らせるのです。

TRPGは共同創作。
どれだけ自由に振る舞える場であっても、そこに『共に遊ぶ人がいる』という意識は、どうしても忘れてはならない前提です。


最後に

演技が得意な人もいれば、苦手な人もいます。
そして、TRPGという遊びの素晴らしいところは、そのどちらでも楽しめるということ。

ただし、もし「もう少し踏み込んで遊んでみたい」と思ったとき、『演技がうまいかどうか』ではなく、『考えた上で表現しているか』が、心に響く鍵になることがあります。

どんなに短いセリフでも、「そのキャラなら、そう言いそうだ」と思える瞬間には、どこかに『考え抜いた跡』が宿っている。 そこにこそ、プレイヤーの知性や誠実さがにじみ出るのです。

演技は必須ではないけれど、ほんの少しでも心を重ねてみようとした時、TRPGはまた一段と深くなる

それを知っているかどうかが、『やらなきゃいけない』かどうかより、ずっと大事な事なんだと思います。


最終更新日:2025年9月17日