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1. 『できない』はすごくラク

まず前提として言っておきたいことがある。

『できない』って、すごくラクです。

努力しなくていいし、失敗しても「しょうがない」で済むし、誰からも責任を求められない。
できない人間は、ある意味で無敵。誰もそこに期待しないから。

でも、それって本当に「自分らしさ」なんでしょうか?

堂々と「できません」「苦手です」って言ってる人に、あなたは「一緒にやろう」って思えますか?
その人に何か任せようと思いますか?


2. 『できない』をそのまま売りにするな

「できない自分も受け入れてくれる場所がいい」
「ありのままでいられる環境が理想」
理想論としてはすごくよくわかる。

でも、それを『加工なしの素材』として差し出すのは違います

できないなら、できないなりに形にするべきです。 それを『ただの看板』にして「これが個性です!」って言い出すのは、ただの地雷です。

個性というのは、『人と違うこと』じゃなくて、『人と違うことを、どう活かすか』の話なんです。

TRPGで言えば、「筋力弱いので殴れません、それが個性です」はただの足手まとい。
「筋力が弱いから、私でも攻撃できそうな刃物を探してきました」なら、それは『戦術』になる。

同じできなさでも、工夫しているかどうかで周囲の受け取り方は180度変わる。


3. 苦手は、工夫してる人だけの特権だ

世の中、「できないことを武器にする」って風潮が存在する。

これらは確かに個性だ。魅力だ。
でもそれは、「そのまま放置してる人」には当てはまらない。

ただの苦手を個性に見せかけて、何も努力せず、責任から逃げ続ける人間がいたとしたら?
きっと誰も「面白い」なんて思わないし、「すごいね」とも思わないでしょう。

「できないままの自分」に誇りを持ってはいけません。
誇れるのは、「できないからこそこう工夫した」人間だけです。


4. 自分の苦手をどう工夫してるか

私にも、苦手ははっきりあります。

まず、自己管理が壊滅的に苦手だ。
計画通りに進められる人や、コツコツ積み重ねられる人を見て「すごいな」と思うけど、私にはそれができない。
だから、環境や仕組みで自分を縛るようにしてる。人に宣言して逃げ道を塞いだり、周りの目を利用して無理やり進める。
これは「自分の努力」じゃなく「場の工夫」で成り立ってる。

次に、これは苦手というより『特性』ですが、私はボイスチャットだと第一印象でなんとなく怖がられやすい
もしそれを放置したら、誰も近づいてこない。
だから、意識的にユーモアを混ぜて喋ったり、あえて自分をいじらせたりして、印象を『怖そうな人』から『案外話しやすい人』に加工している。

さらに、私にはカリスマ性がない。 このサイトもそうだし、YouTubeチャンネルやTRPGサーバーの管理人をやっているにもかかわらず、初見で人を惹きつけるような『カリスマ』なんて呼ばれるものは微塵もない。
だからこそ、私はとにかく信頼を積み重ねることを優先している。派手さではなく、「あいつなら任せても大丈夫」と思ってもらうこと。これが、私なりの生き残り方です。

私の苦手は、このままだとただの弱点でしかない。
でも『苦手だからこそこう工夫してる』と形にすれば、人に届くし、自分の武器にもなる。


5. 加工なしの苦手アピール

TRPG界隈にもたまにいます。
「キャラロスト地雷です」「RP苦手だから控えめでいきます」「この手のRPはできないです」って、先に『免罪符』だけ配る人。

その気持ちがわからなくはない。むしろ、最初から公言しているあたりは多少好感は持てる。
でも、それで「これが自分の個性です!」は違う。

こういう風に、苦手を『対話と工夫』で中和していくのが「できる人」です。

できない自分を正直に伝えることと、できないままでいいと思ってることは全然違う。


最後に

『できない』は、スタート地点にすぎない。
そのままでは誰にも届かないし、何も生まない。

努力して人並みに持ち上げる。
苦手を『工夫と工夫』で包んで差し出す。
その先でようやく、『個性』は成立する。

「できない」を背負っても別にいい。
でも、それを『未加工で看板にする』ような人間には、誰も「面白い」「一緒にいたい」とは思わない。

できないからこそ、工夫しろ
できないを言い訳にするな。
できないを武器にするなら、ちゃんと研げ。

それが、『できる人』のやってることです。


最終更新日:2025年9月14日