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ChatGPTによるこの記事の3行要約

  • 新年やカウントダウンで生まれる「全員が同じ瞬間に同じ感情を共有すべき」という空気に、強い違和感を覚える。
  • 感情や意味は外から一斉に与えられるものではなく、自分のペースで育てたいという価値観の表明。
  • TRPGにおける「空気を読む」は物語を成立させるための協力であり、儀式的な同調圧力とは別物。


1. 新年、明けましておめでとうございます

新年、明けましておめでとうございます。

今年もゆるりゆるりと更新していきますので、今後とも本サイトをよろしくお願いいたします。

新年というと、私は「新年明けましておめでとう」という言葉を発するタイミングにいつも少し迷う。
1月1日の0時0分に言うべきなのか、それとも新年最初に会った人に言うべきなのか。

いや、そもそも「新年」って何なのだろうか。
12月31日の23時59分59秒と1月1日の0時0分0秒の間に、一体何が変わったというのだろう。

毎年この時期になると、世の中は「新年モード」に入る。
カウントダウンイベントがあちこちで開かれ、人々は一斉に「10、9、8...」と数える。
そして0になった瞬間、「わー!」と盛り上がる。
テレビをつければ「今年の抱負は?」と聞かれ、SNSには「新年の目標」が溢れる。

私はこの、「みんなが同じ方向を向いて、同じタイミングで、同じテンションでいる状態」が、実はあまり得意ではない。


2. 感情の同期を求められる違和感

カウントダウンが嫌なわけじゃない。
新年を祝うこと自体が嫌なわけでもない。

ただ、「さあ、この瞬間はみんなで盛り上がりましょう!」という空気に、どうしても乗り切れない自分がいる。
それは多分、感情は自分のペースで育てたいと思っているからだ。

「今年も始まったな」という感覚は、1月1日の0時0分に訪れるとは限らない。
1月3日の朝、仕事始めの日、あるいは2月に入ってから、ふとした瞬間に「ああ、新しい年が動き出したな」と感じることもある。

その「じわっと来る感覚」を大事にしたいのに、世間は「今、この瞬間に感じなさい」と言ってくる。

そのズレが、少しばかりしんどい。


3. 「この瞬間は特別」という合意の強制

お正月やカウントダウンは、「全員が同じタイミングで同じ感情を持つこと」を期待する儀式だ。

でも、感情って本来、各自が各自のペースで持つものじゃないだろうか。

「さあ、今から全員で喜びましょう!」という空気に、「いや、私の感情のタイミングはあなたたちと違うかもしれない」という違和感がある。

これは、「感情の自律性」を守りたいという感覚だと思う。


4. 時間の連続性を断ち切られる感じ

私にとって、12月31日→1月1日はただの連続した時間だ。
昨日も今日も明日も、ただ続いてるだけ。

でも世間は、そこに「区切り」を置く。

12月31日は「今年最後の日」
1月1日は「新しい年の始まり」

そして、「ここで区切りますよ!」と言われると、連続性を断ち切られる感じがする。

私は時間を「点」ではなく「線」として捉えているので、この「点としての扱い」が、どうも馴染まない。


5. 「みんなで一緒に」という同調圧力

カウントダウンや新年度の始まりは、集団が一つの方向に向かって熱量を持つ瞬間だ。
でも、その「全員が同じ方向を向いてる状態」に居心地の悪さを感じる。

なぜなら、そこには「自分もその方向を向かなきゃいけない」という暗黙の圧力があるから。

この「同調しないことへの後ろめたさ」が、無意識のうちに圧力として感じられる。


6. 意味は自分で見出したい

時間の区切りに意味を持たせること自体は悪くない。
でも問題は、その意味が「外から」「一斉に」与えられることだ。

「意味は自分で見出すものなのに、勝手に与えられてる」という違和感がある。
レストランで「このメニューが美味しいですよ!」と勧められるのは嫌じゃないけど、「このメニューを美味しいと思いますよね?」と同意を求められるのは嫌、みたいな感じ。

これは、「意味の自己決定権」を守りたいという感覚だ。


7. TRPGにおける「空気を読む」ということ

「じゃあTRPGはどうなんだ?」と思った人もいるだろう。
たしかにTRPGも、ある意味では「全員で同じ方向を向く」趣味だ。

でも、TRPGと新年のカウントダウンには、決定的な違いがある。

TRPGは、「参加するかどうか」を自分で選べる。

カウントダウンや新年は、参加しなくても勝手に訪れる。
でもTRPGは、卓に参加しない限り始まらない。「今回はパスします」と言える。

そして何より、TRPGの「空気を読む」は、創造的な協力だ。

新年のカウントダウンは、「この瞬間に盛り上がること」が目的になっている。
でもTRPGの「空気を読む」は、全員で物語を作るための協力だ。

これは、「同じ方向を向く」というより、「それぞれの視点を持ちながら、一つの物語を編む」という感覚に近い。

だから私は、TRPGの「空気を読む」は好きだけど、新年の「空気を読む」は苦手なんだと思う。


8. 冷めてるわけじゃない

私は別に冷めてるわけじゃない。

新年を祝うこと自体は好きだし、年が変わることに意味を感じることもある。

ただ、そのタイミングが他人と揃わないだけ。

後から「ああ、今年も始まったな」とじわっと感じるのは自然だし、それはそれで大事にしたい。
でも「今この瞬間に感じろ」と言われると白ける。

TRPGでも同じだ。
「ここで感動しましょう!」と強制されると冷めるけど、自然に物語に引き込まれて、気づいたら涙が出ていた、みたいな体験は大好きだ。

感情は、育つもの。与えられるものじゃない。


9. 一人で静かに年を越す

だから私は、カウントダウンイベントには基本的に行かない。
一人で、静かに年を越す。

別に友達がいないわけじゃない。ただ、自分のペースで年を感じたいだけ。

1月1日の朝、いつもより少し遅く起きて、コーヒーを淹れて、窓から外を見る。
「ああ、新しい年か」と思う。その瞬間が、私にとっての「新年」だ。

誰かと一緒じゃなくていい。カウントダウンもいらない。ただ、自分の感覚を大事にしたい。

TRPGも同じで、たまには一人でシナリオを読んだり、キャラクターシートを眺めたりする時間が好きだ。
誰かと遊ぶのも楽しいけど、一人で物語を反芻する時間も大事にしたい。


最後に

これは、「みんなと違う」という話じゃない。
「感情や意味を、自分のペースで、自分の内側から育てたい」という話だ。

だから、

これは、決して冷めてるわけじゃない。
むしろ、自分の感情や意味を、しっかり大事にしてるからこその感性だと思う。

そして、これは「個の尊重」と「自律性」を重視する、一貫した価値観なんだと思う。


最終更新日:2026年1月13日