メタプレイはほどほどに
7/14 2025
カテゴリー:対人・コミュニケーション編

1. わかってしまうこと、あるよね
たとえばCoCで遊んでいると、ふとした瞬間に『あれ、もしかしてこのシナリオの黒幕、〇〇じゃない?』とか『このやり方、たぶん△△の手口だな』なんて、展開や演出から『中の仕掛け』が見えてくることがある。
CoCを何度も遊んでいると、神話生物の特性や出方、よくある構造に詳しくなっていく。
ましてや、シナリオを書く側だったりすると、『これ多分、最後に■■が出てくる流れだな』と予測できたりもする。
そして、実際よく当たる。
2. でもそれ、『キャラ』が気づけること?
それを推理するのは、たしかに楽しい。
むしろ、CoCの醍醐味のひとつかもしれない。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。
その『黒幕の察し』や『神話生物の特定』、探索者は本当に気づけるだろうか?
プレイヤーとしての自分が知っているだけで、キャラクター自身は〈クトゥルフ神話〉技能もない。
神話的存在の『気配』すら知らないかもしれない。
それでも、『この状況、多分〇〇でしょ』と言い出してしまうと、物語から一気に『冷める』瞬間が生まれる。
3. それ、誰のための発言?
ここでもうひとつ、想像してみてほしい。
CoCにまだ慣れていないプレイヤーが同卓していたとする。
その人が真剣に推理したり、緊張感の中でRPしている中で──
- 『これ、たぶんニャルだね』
- 『これ、〇〇の呪文っぽいなぁ』
……なんて聞かされたら、どう感じるだろうか?
多分、ついていけない。
そもそも、言われても嬉しくない。
それ、単なる知識マウントでしかない。
4. メタがすべて悪いわけじゃない
もちろん、メタプレイの全否定をしたいわけじゃない。
- 『この先絶対ラスボスでしょ……うわ、行きたくねぇ~!』
- 『こいつ2d6ダメやで!避けな死ぬ!』
- 『絶対あのNPC裏切るやつやろ~~!』
──そういう『わかってる前提での笑い』は、正直楽しい。
メタを共有して『お約束』を楽しむ文化もある。
そこには、ある種のメタ込みのエンタメ感がある。
けど、それは『わかっている人同士でやるから』こそ成り立つ。
誰がどこまで知ってるかわからない卓でそれをやると、その空気は、案外すぐ壊れる。
5. 知識で見せるより、所作で魅せろ
TRPGに慣れてくると、『自分が上級者かも?』と思う瞬間が来る。
でも、本当にかっこいい上級者って、『知識を語る人』じゃなくて、『周りをちゃんと楽しませられる人』だ。
- 分かってても言わない
- 先が見えても、ちゃんとキャラの感情で動く
- 他の人の緊張感を壊さないように気を配る
そういう『余白の所作』にこそ、知識よりずっと大きな説得力が宿る。
最後に
メタプレイは、TRPGの中にひっそり存在する『毒と薬』。
使い方を間違えなければ、場を楽しくするスパイスになる。
でも、無自覚にばら撒けば、物語の空気が一瞬でしぼんでしまう。
だから、ちょっとだけでいい。
『これ、今ここで言う必要あるかな?』そう自分に問いかけるクセをつけてみてほしい。
知ってることを見せつけるより、『わかってても何も言わない人』の方が、ずっとかっこいいから。
最終更新日:2025年7月27日