難しいシナリオを「回した」ことは、実力の証明ではない
7/11 2025
カテゴリー:GM・物語との関わり編

1. 高難易度シナリオを「回した」という自慢
SNSやセッション報告で、よく見かける。
- 「20時間の大長編を回し切りました!」
- 「PL10人の多人数シナリオを無事完走!」
- 「NPCが20人出るシナリオを破綻なく処理しました!」
もちろん、それはすごいことだと思う。
大変な準備、体力、管理能力、集中力。それを乗り越えたのだから、誇っていい。
ただ、『誇る』のと、『うぬぼれる』のは別だ。
2. 難しいシナリオでも、『進行だけ』なら誰でもできる
極端な話、どんな難易度の高いシナリオでも、TRPGをある程度経験していれば「セッションを終わらせるだけ」ならできる。
たとえば…
- NPCの情報を順番に出すだけ
- イベントを表にそって読み上げていくだけ
- 進行を止めずに『まとめていく』だけ
…それって、ただの進行係では?
TRPGのGMに求められるのは、『動かすこと』じゃなく『楽しませること』だ。
3. 『難しい』と『ちゃんとしてる』は別の話
難しいシナリオを回すと、それだけで「すごいGM」になったような気がする。
でも、そういう時こそ自問してみてほしい。
- PLのやりたいことは、きちんと拾えていたか?
- 誰かが置いてけぼりになっていなかったか?
- NPCばかりにスポットが当たって、PCが埋もれていなかったか?
- 話を早く進めたいがために、PLの自由な探索を止めなかったか?
こうした配慮をしながら『難しいシナリオ』を進めるのは、本当に難しい。
「NPCが20人いるから、ちょっとPLのセリフは遮った」
「20時間あるから、無駄なやりとりは飛ばした」
──それは、『回せた』ではなく『やり切っただけ』かもしれない。
4. 「自分すごい」より「PL楽しめたかな」
本当にすごいGMは、自分がすごいかどうかより、PLが楽しめたかを一番に考えてる。
だから、どれだけ複雑な構造のシナリオでも、どれだけ登場人物が多くても、『PCたちの物語』として自然に成立させてしまう。
それは単なる技術の積み上げじゃなく、『他人の体験を想像する力』や『バランス感覚』のたまものだ。
最後に
繰り返すが、難しいシナリオを回すことは素晴らしいことだ。
でも、それは『スタートライン』にすぎない。
そこにPLへの気配りがなければ、どんなに大規模なシナリオでも、ただの『GMの自己満』になってしまう。
「回せた」ことで満足せずに、「回せて、しかも全員が楽しかった」を目指していこう。
それができて、ようやく『高難易度を回せるGM』ではなく、『卓の信頼を得るGM』になる。
最終更新日:2025年7月27日