【閲覧注意】苦手な人が“仲良しグループ”にできたとき、どうすればいいか

カテゴリ:その他・個人のこと/語りの間 / 筆者:キョロ

0. 最初に言っておくこと

これは、「自分だけがその人を苦手だと思っている場合」の話です。
グループ全体が問題を感じているケース、対話や注意が必要な明確な迷惑行為があるケースは、今回の主題ではありません。
該当しない方はブラウザバック推奨。

また、今回ちょっと言葉が強いかもしれません。
でも、どこかで誰かがこれを言わなきゃいけないと、そう思って書いています。

1. グループができた時点で、もう不安定は始まっている

仲の良い人たちとコミュニティを作るのは、楽しい。
最初のうちは、まさに理想郷のように思える。

でも、それが長く続けばほぼ100%、何かが起きる。

これらは避けられない現実です。
人が複数人集まって何かを共有しようとする限り、
関係の摩擦は必ず生まれます。

2. オープンな場なら逃げ道もある。でも……

数百人が参加している大型サーバーや、
自由に出入りできるオープンな場所なら、距離を取るのも簡単です。

「見かけたくないからブロックする」「別のチャンネルに行く」
これで終わる話。

でも、問題は “数人でできた内輪グループ” の中で起きたとき。
逃げると全部から離れることになるし、
「〇〇さんは苦手だけど、□□さんや△△さんとは話したいんだよな……」
という状態、めちゃくちゃ多いです。

逃げられない、けど居たい。
その中で、どう折り合いをつけるかが問われます。

3. 苦手と思うのは、別に悪くない

まずこれだけは伝えたい。
「苦手だと思うこと」自体は、まったく悪いことじゃない。

人と人が合う合わないなんて、当たり前。
「なんかダメだな」って思うのは、直感的な部分であり、避けようがない。

でも問題は、そこからどう振る舞うか。

4. ある程度は、大人なんだから耐えろ

厳しいことを言うようだけど──
社会に出て、何もかもを“我慢ゼロ”で生きていけるのは、小学生までです。

どんな場でも、「ちょっと苦手だけど一緒にやる」は普通にある。
それをいちいちゼロか百かで切っていたら、人間関係は続かない。

大人である以上、ある程度のストレスは受け止めなきゃいけない。
それを「自分に無理をさせる」と捉えるか、「関係を守る努力」と捉えるか。
その選択が、あなたの器を決める。

5. この世界は、あなたのために最適化されていない

大前提として、世界はあなたのために最適化されていません。

誰もが、それぞれの立場や背景を抱えながら、
それでも関わり合おうとして生きている。

だから、「苦手だから私を守って」「あの人変えて」は、
正直、ちょっと傲慢です。

6. 「実はあの人ちょっと苦手でさ」──それ、軽率な一撃かも

誰かを苦手だと思ったとき、それを他の人にこぼしたくなることがある。

……でも、その瞬間、聞かされた相手は気を遣い始める。

自分だけすっきりして、相手には火種を渡してるんです。

7. 思うのは自由。でも「言った時点」で責任は発生する

「自由に言ってもいいじゃん」は、よくある主張。
でもその自由は、「結果を引き受ける責任」とセットです。

バイト先で「店長うざい」って言ってクビになっても、
「思っただけです」は通用しない。

「発言した」という時点で、それは行動です。
思ってるだけならあなたの心の中の話。
でも、言葉にした瞬間から、周囲との関係にも影響が出ます。

8. “苦手な人を変えよう”なんて思うな

何より一番大切なこと。

「あの人を変えよう」と思うのはやめてください。

人は、変えられません。
特に、自分が苦手だと感じている相手ならなおさらです。

あなたにできるのは、自分の振る舞いを変えることだけ。
それが嫌なら、自分がフェードアウトするのが一番穏やか。

9. それでも、グループに居たいなら

「それでもやっぱり、グループの他の人と話したい」「離れたくない」
──なら、必要なのは“共存の技術”です。

要は、 「心では距離を取っているが、表面上は波を立てない」 こと。
これが、共存の基本。

10. 言葉を出す前に、少しだけ想像しろ

あなたの一言が、
その人だけでなく、周囲にどう波紋を広げるか。

そこまで一歩想像ができる人が、“人間関係のスキルが高い人”です。
たとえ何も言わなくても、ちゃんと見てる人は、います。

11. 「プライベートなんだから気を遣いたくない」という人へ

これは非常によく聞く主張です。
「仕事でも人間関係に気を遣ってるのに、プライベートでも我慢なんてしたくない」と。

──その気持ち、わかります。
でも、ここにはひとつ重大な勘違いがあります。

“プライベート=無礼が許される空間”ではないということです。

あなたにとってそのグループが“気を遣いたくないプライベート”かもしれない。
でも他の人にとっては、癒しの場だったり、大切な趣味の場所だったり、心の逃げ場だったりする。

だから、あなたが「気を遣いたくない」と言って誰かを傷つければ、
その誰かは「この場所が安全じゃなくなった」と感じて離れていく可能性もある。

「プライベート」は、あなたひとりのものではない。
誰かと関わる以上、そこは “複数人で共有している空間” です。

それに、もうひとつ冷静に考えてみてほしい。

あなたが「気を遣いたくない」「我慢したくない」と思っているそのグループで──
誰かが、あなたに気を遣って、我慢してくれていたとしたら?

その人も「プライベートだから、もう気を遣いたくない」って思ったとしたら?

……どうなるか、答えはもう出ていますよね。

自分が気を遣いたくないなら、他人にもその“自由”を与えるべきです。
でも、人間関係とは、「お互いにちょっとずつ譲って成り立つもの」なんです。

あなたが気を遣うのがしんどいと思っているとき、
周囲の誰かも、たぶん同じように頑張ってくれています。

だから「プライベートなんだから何してもいい」ではなく、
「プライベートだからこそ、最低限の配慮で心地よい場所にしたい」と考えてほしい。

それができる人こそ、
“一緒にいて楽な人”として、大切にされる人です。

最後に

苦手な人に対して、距離を置く、攻撃する、否定する──
それを選ぶのも、あなたの自由です。

でも、その自由の結果が、どう返ってくるか。
その責任は、誰かのせいにはできません。

「我慢」も「共存」も、甘くないです。
でも、それを乗り越えた先にしか、
“長く続く関係性”は存在しない。

だから、どうか賢くあってください。
感情を持つのは人間として当然だけど、
それをどう扱うかが、大人としての差になる。

苦手な人がいても、そこで崩れない自分でいられるように。
それができたとき、あなたの人間関係はもっとしなやかに、もっと強くなります。

投稿日:2025年5月20日
最終更新日:2025年5月20日

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