「プレイ後の虚無感」は、本気で遊んだ証拠

カテゴリ:感情・没入・体験論編 / 筆者:キョロ

1. セッションのあとに襲ってくる、説明できない“空っぽさ”

セッションが終わった夜、
静まり返った画面の前で、言葉にできない“ぽっかり”に気づく。

「楽しかった」のは間違いない。
でもその直後に、不意に訪れる“空虚な感覚”。

そんな感情に襲われて、ふと「これは変なのかな」「自分だけかな」と戸惑ってしまう人もいる。

でも大丈夫。
その“虚無感”は、本気で物語を生きた証拠だ。

2. キャラクターの“死”ではなく、“生活の終わり”だから苦しい

この感覚は、ただ「物語が終わったから」ではない。
もっとずっとパーソナルで、繊細な理由がある。

TRPGのセッション中、プレイヤーはキャラクターとして“生きる”。
決断をし、感情を動かし、関係を築く。

それがたった数時間でも、「そこに居た」という実感は確かに心に刻まれている。

そして、その“生きていた時間”が終わったとき、
まるで短い人生を終えたかのような、喪失に似た静けさがやってくる。

プレイ後の虚無感とは、
「キャラクターを失った悲しみ」ではなく、
「一緒に過ごした時間が終わった感覚」
なのだ。

それは、物語の喪失ではない。
日常の中に存在していた、もうひとつの生活の終わり。

3. 感情が“動いた”からこそ、静寂が重くなる

この虚無感が深いほど、
あなたはそのセッションを、本気で“感じて”いたということ。

そういう瞬間があったなら、当然だ。
セッションが終わった瞬間、キャラクターはそこに居なくなる。
でも、“感じていた自分の気持ち”は、まだ胸の中に残っている。

その残り香が、しばらく消えない。

そしてその“残ってしまったもの”に、自分自身がどう向き合っていくかで、
TRPGは単なる娯楽ではなく、“体験”として自分の中に定着していく。

4. 虚無感を大事にすることは、次の物語を育てること

だから、虚無感を「なかったこと」にしようとしなくていい。
消そうとしなくていい。

むしろ、それはあなたがキャラとして、世界の中でちゃんと生きていた証だ。

そういう時間を過ごすことは、
“喪失”の整理ではなく、“感情の保存”に近い。

それをしておくと、不思議なことに、
次のセッションで、あなたのロールプレイに自然な奥行きが生まれてくる。

感情をちゃんと残せる人は、物語を深くする。
虚無感を受け入れられる人は、次のセッションをもっと豊かにする。

● 最後に

「終わってしまった」じゃない。
「ちゃんと最後まで生き切ったから、寂しくなった」だけ。

プレイ後の虚無感は、決してネガティブなものではない。
それは、“物語が終わった後にも感情が残っている”という、確かな手応え。

だから、何も感じなくなるまで無理に次に行かなくていい。
しばらく余韻の中にいても大丈夫。

それだけ、あなたは“いいプレイヤー”だったんだから。

投稿日:2025年4月25日
最終更新日:2025年4月25日

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