1. TRPGが「作品」として語られるようになった今
TRPGは今、かつてないほど“作品”として語られるようになった。
人気のリプレイ動画や、豪華なボイスドラマ、洗練されたUIと演出。
それらは間違いなく、TRPGを広く、深く、魅力的に見せてくれている。
けれど、その反面、TRPGを「鑑賞するもの」「評価するもの」として扱ってしまう空気も少しずつ広がっている。
- 「このシナリオ、展開が弱かった」
- 「もっと映える行動をすればよかった」
- 「セリフのキメが甘い」
そうした“視聴者目線”での評価は、
いつの間にかプレイヤーとしての“体験の没入”を遠ざけてしまうことがある。
2. “良かったセッション”は、“上手くいった”セッションとは限らない
TRPGは、「何が起きるか分からない時間」をプレイヤーが“生きる”遊びだ。
- 失敗してしまった選択
- 言いそびれたセリフ
- 感情がうまく出せなかった場面
それらがすべて、“プレイヤーとしての自分の痕跡”になる。
うまくいかなかった=失敗作ではない。
むしろ、うまくいかなかったからこそ、印象に残り、胸に引っかかるセッションになることもある。
TRPGは“演目”ではない。
綺麗にまとまる必要なんて、本当はどこにもない。
3. 体験として遊ぶために、意識したいこと
TRPGを「体験」として楽しむためには、
少しだけ“完成度”や“成果”から視点を外す意識が必要だ。
- ✅【1】「語るため」より「感じるため」に動く
→ 誰かに話す用のかっこいいセリフではなく、
その場の感情で震えるような言葉を大事にしてみる。 - ✅【2】「どうなるか」ではなく「どう在るか」に目を向ける
→ 成功・失敗ではなく、今のキャラがどんな心境にいるかを追う。 - ✅【3】「いい場面を作る」より「今の反応を大事にする」
→ 映えるリアクションより、戸惑いや沈黙もそのまま受け入れる。
これらは“効率的なプレイ”ではないかもしれない。
でも、そのとき“ちゃんと生きていた”という実感は、
必ずプレイヤー自身の記憶に残る。
4. 「体験として残ったセッション」だけが、誰かと語りたくなる
あとから語りたくなるセッションというのは、
“良い話だった”からじゃない。
“自分の心が動いた”からだ。
- あのNPCとの沈黙が、妙に胸に残っている
- あの選択を後悔している自分が、なぜか嫌いじゃない
- あの場面の自分の一言が、たしかに“あのキャラ”だった
こういった感情は、
“構成”や“演出”では生まれない。
プレイヤーがその場を“体験した”結果としてしか生まれない。
TRPGは、“誰かに見せる物語”ではなく、
“今ここにしかいない自分たちで編む物語”だからこそ、
心に残るのだ。
● 最後に
TRPGは、“いいセリフを言うため”の遊びじゃない。
“うまくやる”ための遊びでもない。
「何が起きるか分からない物語の中で、
自分のキャラがどう生きるか」を、一緒に感じる時間。
それが、TRPGという遊びの本質だ。
だから、
次にセッションに臨むときは、「上手くやろう」より「深く感じよう」を意識してみてほしい。
それだけで、その物語はきっと、
“消費”される記録ではなく、“体験”として残る記憶になる。
最終更新日:2025年4月29日