TRPGを「消費」せず、「体験」にするためのマインドセット
4/29 2025
カテゴリー:感情・没入・体験論編

1. TRPGが「作品」として語られるようになった今
TRPGは今、かつてないほど『作品』として語られるようになった。
人気のリプレイ動画や、豪華なボイスドラマ、洗練されたUIと演出。
それらは間違いなく、TRPGを広く、深く、魅力的に見せてくれている。
けれどその反面、TRPGを「鑑賞するもの」「評価するもの」として扱ってしまう空気も少しずつ広がっている。
- 「このシナリオ、展開が弱かった」
- 「もっと映える行動をすればよかった」
- 「セリフのキメが甘い」
そうした『視聴者目線』での評価は、いつの間にかプレイヤーとしての『体験の没入』を遠ざけてしまうことがある。
2. 『良かったセッション』は、『上手くいった』セッションとは限らない
TRPGは、「何が起きるか分からない時間」をプレイヤーが『生きる』遊びだ。
- 失敗してしまった選択
- 言いそびれたセリフ
- 感情がうまく出せなかった場面
それらがすべて、『プレイヤーとしての自分の痕跡』になる。
うまくいかなかった=失敗作ではない。
むしろ、うまくいかなかったからこそ、印象に残り、胸に引っかかるセッションになることもある。
TRPGは『演目』ではない。
綺麗にまとまる必要なんて、本当はどこにもない。
3. 体験として遊ぶために、意識したいこと
TRPGを「体験」として楽しむためには、少しだけ『完成度』や『成果』から視点を外す意識が必要だ。
- ✅【1】「語るため」より「感じるため」に動く
→ 誰かに話す用のかっこいいセリフではなく、その場の感情で震えるような言葉を大事にしてみる。 - ✅【2】「どうなるか」ではなく「どう在るか」に目を向ける
→ 成功・失敗ではなく、今のキャラがどんな心境にいるかを追う。 - ✅【3】「いい場面を作る」より「今の反応を大事にする」
→ 映えるリアクションより、戸惑いや沈黙もそのまま受け入れる。
これらは『効率的なプレイ』ではないかもしれない。
でも、そのとき『ちゃんと生きていた』という実感は、必ずプレイヤー自身の記憶に残る。
4. 「体験として残ったセッション」だけが、誰かと語りたくなる
あとから語りたくなるセッションというのは、『良い話だった』からじゃない。
『自分の心が動いた』からだ。
- あのNPCとの沈黙が、妙に胸に残っている
- あの選択を後悔している自分が、なぜか嫌いじゃない
- あの場面の自分の一言が、たしかに『あのキャラ』だった
こういった感情は、『構成』や『演出』では生まれない。
プレイヤーがその場を『体験した』結果としてしか生まれない。
TRPGは、『誰かに見せる物語』ではなく、『今ここにしかいない自分たちで編む物語』だからこそ、心に残るのだ。
最後に
TRPGは、『いいセリフを言うため』の遊びじゃない。
『うまくやる』ための遊びでもない。
「何が起きるか分からない物語の中で、自分のキャラがどう生きるか」を、一緒に感じる時間。
それが、TRPGという遊びの本質だ。
だから、次にセッションに臨むときは、「上手くやろう」より「深く感じよう」を意識してみてほしい。
それだけで、その物語はきっと、『消費』される記録ではなく、『体験』として残る記憶になる。
最終更新日:2025年7月30日