1. 人見知りだというと、“そうは見えない”と言われる
ぼくは、人見知りだ。
人と話すのが得意ではない。というより、かなり苦手な部類だと思う。
知らない人と喋る場面では、頭の中で何度も言葉を並び替え、ようやく一言を口に出す。
それでも上手く伝わったかどうか不安になって、家に帰ってからぐったりしてしまう。
だけど、そう話すと、決まって「意外だね」と言われる。
「そんなふうには見えない」とか、「社交的だと思ってた」とか。
最初は、その言葉に戸惑っていた。
でも、ふと思い当たることがある。
たぶん、高校の頃から、ぼくは“理想の自分”のロールプレイを始めた。
2. なりたかったのは、“誰かに話しかけやすいキャラ”
ぼくが演じてきたキャラクターは、
言葉が明快で、よく笑って、人の話を引き出すのが上手い。
周囲に溶け込めて、でもちゃんと個性も持っている。
「なんかあの人、話しやすいよね」と言われるような存在。
そういう“キャラ”になりたくて、少しずつ演技を重ねていった。
芝居ではなく、でもたしかに“演技”だったと思う。
セリフのパターン、笑い方、話の切り出し方、声のトーン。
そうやって少しずつ、「ぼく」というキャラを作っていった。
それは、生きやすくなるための工夫だった。
そしていつしか、その演技が“素の自分”として認識されるようになった。
3. 演じられない自分に出会ったとき、わかることがある
中学時代の友人と会うと、ぼくは急に喋れなくなる。
言葉がうまく出てこない。話が続かない。いつも通りに笑えない。
不思議なほど、たどたどしくなる。
それはたぶん、当時の自分にはまだこの“キャラ”がなかったから。
彼らの前では、演じる前の自分が、そのまま出てきてしまう。
そしてそのたびに、今の自分が“選び取った人格”なんだということに気づかされる。
でも、それは“偽物”という意味じゃない。
むしろ、時間をかけて、試行錯誤して、
「この方が、自分らしく生きられる」と感じてきた姿が、今のぼくなのだ。
4. “キャラクター”としての自分を信じている
ぼくは、たぶん、人生をかけてロールプレイをしている。
演じることで、人と話せるようになった。
演じることで、関係を築くことができた。
演じることで、自分を守ることができた。
そして、演じ続けるうちに、
このキャラが、だんだん本当のぼくになっていった。
TRPGと違って、この“キャラ”にエンディングはない。
でも、このRPは“やめる”んじゃなく、“馴染んでいく”ものなんだと思う。
自分で選んだ言葉、自分で選んだふるまい、自分で選んだ在り方。
それを繰り返していくうちに、
“演じていたキャラ”と“ぼく自身”が重なっていく。
それは、決して嘘じゃない。
ぼくが今もこうして人と関われているのは、
このキャラを信じて、演じ続けてきた自分がいるからだ。
● 最後に
これが、ぼくにとっての「わたし」という名前のキャラクター。
たぶん、ぼくが一番長く続けている、いちばん大切なロールプレイだ。
最初は“演技”だった。
でも、それを続けることで、少しずつ“本当の自分”に育ててきた。
誰かの前でうまく話すために。人と関われるようになるために。
不安や孤独に押しつぶされないように。
そうやって、自分を守るために選んできた姿。
それは、演じていたからこそ生まれた“生き方”であり、
嘘ではなく、自分で育てた“本音の自分”なんだと思います。
TRPGのキャラクターも、
たくさんの選択の中から“その姿”を選んだときにこそ、生きているように感じられる。
ぼくの「わたし」も、そんなふうに、選び取った末に生まれたキャラクターでした。
誰だって、自分の人生をRPしているのかもしれない。
だからこそ、誰かと出会って関われることは、奇跡に近い“セッション”なのだと、思います。
最終更新日:2025年4月25日