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ChatPTによるこの記事の3行要約

  • かつて私は、「好き」に対して深さや正しさを求めすぎて苦しくなっていた
  • でも本来、好きは雑で揺れていて、気まぐれでもいい感情だった。
  • 正解を探すより、心が動いた瞬間そのものを大切にしていいと気づいた話。


1. 「好き」って、こんなに不安定な言葉だったっけ?

今でこそ、「好きなことって何?」と聞かれれば、胸を張って答えられるものがいくつかある。

TRPGはもちろんの事、読書・御朱印巡り・お酒・ラーメン・アニメ etc.
いくらでも出てくる。

でも、昔は違った。

そんなふうに、『好き』という言葉に正しさや深さを求めていた。

誰かに好きと言うのが怖かった。
好きと言ってしまったあとに、自分の気持ちが揺らぐことが怖かった。


2. 『自分の好き』と『他人の好き』が違っていたから

たとえば、同じ作品を見ていても、熱の入れ方が違った。
語れる知識の量も違った。
反応の仕方も、視点も、まったく違っていた。

それを前にしたとき、私は「自分の『好き』は弱いんじゃないか」と思ってしまった。

周囲の『熱量』に比べて、自分の『好き』はちょっと曖昧で、ちょっと静かで、ちょっとフラフラしていた。

だから、「これを『好き』って言っていいのかな」と、何度も心の中で確認する癖がついた。


3. 好きに『正しさ』を求めると、苦しくなる

今なら分かる。
あの頃の自分は、『好き』に対して、正解や深度を求めすぎていた。

でもそんなの、無理だった。

気分屋な日もあるし、急に冷めることもあるし、他のものに心を動かされる瞬間もある。

『好き』って本来、もっと雑で、もっと自由で、もっと気まぐれな感情だったはず


4. それでも、「好き」って言ってよかったと思える今

正解なんてなくてよかった。
全部が中途半端でも、浅くても、長続きしなくても。
それでも、「好き」と言った瞬間が、自分の心に火を灯していたのは事実だった。

たとえその炎が小さくてすぐ消えそうだったとしても、「好きって言えたこと」そのものが、自分の輪郭をひとつ作っていた。

いま、何かを好きになったとき、「それってどれくらい好きなの?」なんて思わなくなった。


最後に

「好き」って、もっと自由でいい。
形にならなくても、長続きしなくても、誰より詳しくなくても、胸を張っていい。

たった一瞬でも、自分の心を震わせたなら、それはもうあなた自身の大切な「好き」だ。

正解を探すよりも、今、心が動いたことを大事にしてほしい。


最終更新日:2025年7月31日