“TRPGガチ勢”の定義が合わなくて距離を置いた話

カテゴリ:実体験を基にした個人的な話 / 筆者:キョロ

1. 「お前が言うな」

このコラムを書いているぼく自身、
TRPGを12年やってきて、こうしてコラムを書き連ねているくらいには、
たぶん傍から見たら“ガチ勢”だ。

だから、きっとこう思う人もいるだろう。
「こんなに語ってるお前が、何を言うんだ」って。

でも、それでも書きたかった。

ぼくが“距離を置いた”のは、TRPGに本気な人を嫌いになったからじゃない。
ただ、“ガチ勢”という言葉の裏にある温度差に、どうしても苦しくなったことがあったからだ。

2. 「ガチ勢」の中にも、いろんな温度がある

TRPGが大好きで、ずっと続けてきた。
たくさんのシナリオを遊んだし、シナリオも書いたし、
動画を作ったり、コラムをまとめたり、いろんな形でTRPGに関わってきた。

だからこそわかる。
「本気で楽しんでる人たち」の素晴らしさを。

でも、あるとき気づいた。

“ガチ勢”と呼ばれる層の中にも、
「勝ち負け」や「技術優劣」に重きを置く人たちがいる
ということに。

そういう評価軸で、遊びを“測ろうとする空気”に、
ぼくは、だんだん疲れていった。

3. 「TRPGが上手い」って、そんなに大事だったっけ?

もちろん、上手くなりたい気持ちはわかる。
上達を目指すのも素晴らしいことだ。

でも──
ぼくがTRPGを始めたときに惹かれたのは、
「上手いか下手か」じゃなかった。

──そういう「一緒に物語を歩く感覚」が、楽しかった。

だから、

「このプレイングは最適じゃない」とか、
「こうするのが普通でしょ」とか、
そんな言葉を浴びるようになったとき、

ぼくは静かに、距離を置いた。

4. 距離を置くことは、逃げでも負けでもない

「もっと頑張れば、馴染めたかもしれない」
そう思うこともある。

でも、
“楽しむ形が違った”だけなんだと思う。

本気でやりたい人たちも、
のんびり楽しみたいぼくも、
どちらもTRPGを愛している。

ただ、
同じ温度で同じ方向を向けるかどうかは、また別の話だっただけ。

だから、無理に合わせようとしなくてよかった。
相手を否定しなくてもいいし、
自分を責める必要もない。

少しだけ距離を置いて、
自分に合った遊び方を選びなおす。

それができるのも、TRPGのいいところだと思う。

● 最後に

TRPGは、誰かと物語を作る遊びだ。
だからこそ、
“どんなペースで歩きたいか”が合わないときは、
少し立ち止まったっていい。

本気で遊びたい人も、
のんびり味わいたい人も、
どちらも間違ってない。

ただ、「一緒に歩ける距離感」っていうのは、きっとあるんだ。

そして、無理に合わせないで歩いた先で、
きっとまた、自分にとって心地よい卓に出会える。

だから、

焦らなくていい。
自分が一番「楽しい」と思える歩幅で、
これからもTRPGを続けていこうと思う。

投稿日:2025年4月29日
最終更新日:2025年4月29日

▶ 次はこちらの記事もおすすめ


X ポスト