『TRPGガチ勢』の定義が合わなくて距離を置いた話
4/29 2025
カテゴリー:実体験を基にした個人的な話

1. 「お前が言うな」
このコラムを書いている私自身、TRPGを12年やってきて、こうしてコラムを書き連ねているくらいには、たぶん傍から見たら『ガチ勢』だ。
だから、おそらくこう思う人もいるだろう。
「お前が言うな」
でも、それでも書きたかった。
私が『距離を置いた』のは、TRPGに本気な人を嫌いになったからじゃない。
ただ、『ガチ勢』という言葉の裏にある温度差に、どうしても苦しくなったことがあったからだ。
2. 「ガチ勢」の中にも、いろんな温度がある
TRPGが大好きで、ずっと続けてきた。
たくさんのシナリオを遊んだし、シナリオも書いたし、動画を作ったり、コラムをまとめたり、いろんな形でTRPGに関わってきた。
だからこそわかる。
「本気で楽しんでる人たち」の素晴らしさを。
でも、あるとき気づいた。
『ガチ勢』と呼ばれる層の中にも、「勝ち負け」や「技術優劣」に重きを置く人たちがいるということに。
- 誰がロールプレイがうまいか
- 誰の推理が鋭かったか
- 誰が卓を回すのが早くて、効率的だったか
そういう評価軸で、遊びを『測ろうとする空気』に、私は、だんだん疲れていった。
3. 「TRPGが上手い」って、そんなに大事だったっけ?
もちろん、上手くなりたい気持ちはわかる。
上達を目指すのも素晴らしいことだ。
でも、私がTRPGを始めたときに惹かれたのは、「上手いか下手か」じゃなかった。
- ちょっとどもりながらも、心を込めて話すセリフ
- 間違えた選択をしながらも、必死で走る探索者
- 上手じゃなくても、一緒に悩んでくれた仲間たち
──そういう「一緒に物語を歩く感覚」が、楽しかった。
だから、
「このプレイングは最適じゃない」とか、「こうするのが普通でしょ」とか、そんな言葉を浴びるようになったとき。
私は静かに、距離を置いた。
4. 距離を置くことは、逃げでも負けでもない
「もっと頑張れば、馴染めたかもしれない」
そう思うこともある。
でも、『楽しむ形が違った』だけなんだと思う。
本気でやりたい人たちも、のんびり楽しみたい私も、どちらもTRPGを愛している。
ただ、同じ温度で同じ方向を向けるかどうかは、また別の話だっただけ。
だから、無理に合わせようとしなくてよかった。
相手を否定しなくてもいいし、自分を責める必要もない。
少しだけ距離を置いて、自分に合った遊び方を選びなおす。
それができるのも、TRPGのいいところだと思う。
最後に
TRPGは、誰かと物語を作る遊びだ。
だからこそ、『どんなペースで歩きたいか』が合わないときは、少し立ち止まっていい。
本気で遊びたい人も、のんびり味わいたい人も、どちらも間違ってない。
ただ、「一緒に歩ける距離感」っていうのは、きっとある。
そして、無理に合わせないで歩いた先で、きっとまた、自分にとって心地よい卓に出会える。
だから、焦らなくていい。
自分が一番「楽しい」と思える歩幅で、これからもTRPGを続けていこうと思う。
最終更新日:2025年7月30日